中津川宿は東濃随一の賑わいを見せた宿場です。
古くから穀物、塩、味噌、溜(たまり)、酒、小間物、呉服、紙などの商いが盛んで、周辺の人々を集め、六斉市(月の3と8のつく日)が開らかれました。現在も、いにしえの賑わいを復活させようと、毎月第一日曜日、中津川市街地商店街で、六斎市が行われています。
卯建(うだつ)とは、隣家からの貰い火を避けるために、境に高い塀を設けその上に小屋根を置いた防火壁で、富の象徴でもありました。中津川市本町、横町、下町辺りには今も美しい卯建の家々が残り、当時の宿場の面影を伝えています。
〒508-0041 中津川市本町4丁目付近
〒508-0041 中津川市本町二丁目2番21号
TEL.0573-66-6888
中津川宿は皇女和宮降嫁の折の宿泊地のひとつででした。中津川市中山道歴史資料館には、皇女和宮縁の品々が残され、また、幕末桂小五郎(後の木戸孝允)出席「中津川会議」の秘密文書等がコレクションされています。
〒508-0038 岐阜県中津川市新町7-39
TEL.573-65-5801
■営業時間 午前9:30~午後5:00 ■休館日 水曜日・年末年始 ■入場料 無料
「間家大正の蔵」は、大正6年に建てられた鉄筋コンクリート構造の建物で、平成4年に間家から市に寄贈され市の有形文化財に指定されてました。蔵の構造的特色としては、明治以降の近代的工法と従来の土蔵造りが混在した建築方法が用いられ、当時、東濃随一の豪商と呼ばれた間家を中心とした中津川商人の資料や宿場の関係資料が展示されています。
落合宿は江戸の板橋から44番目。町の東西両入口に枡形が、ほぼ真ん中辺りに本陣、道を挟んで脇本陣がありました。道の真ん中には上町から下町まで用水路があり、その上には常夜灯が建てられていたそうです。
【アクセス】中央自動車道中津川ICから国道19号を木曽方面へ車で10分、「落合下町」交差点右折すぐ 問い合わせ先TEL.0573-69-3201(落合事務所)
中津川市落合840-1
井口家の本陣は、中山道の中でも当時の姿を留めている希少な建物で、国の史跡指定を受けています。明治14年(1881)の大規模な修理で、火災への配慮から土蔵造瓦葺一部二階建に建替えられましたが、内部は手を加えずに昔のままで、壁の厚さは22cmもあるそうです。
中津川市落合1129
浄土宗中央山高福寺は、阿弥陀如来を本尊に、境内には徳本上人の名号碑のほか仏像が沢山祀られていて、俳人嵩左坊(すさぼう)のお墓もあります。樹齢200年余りの彼岸桜の大木が2本が並び、3月下旬頃から淡いピンクの花を咲かせ、春の到来、農作業の始まりを告げる暦桜として人々に親しまれてきました。
中津川市落合1423-2
瑠璃山医王寺は、行基(ぎょうき)作の薬師如来をご本尊に数多くの仏像が祀られています。人々には、山中薬師さまと呼ばれ、狐膏薬(きつねのこうやく)で親しまれてきました。
境内には「梅が香にのっと日の出る山路かな」の芭蕉の句碑、三重の層塔などがあり、大きく枝を張る枝垂れ桜は春の訪れを美しく彩ってくれます。
中津川市落合大久手(おおくて)
医王寺から中山道を峠のほうに上ぼると、自然石を道一面に敷きつめた石畳にでます。昭和の頃、草に埋もれていた3カ所70.8mが発見され、整えられて県の史跡に指定されました。さらに、全長840mにわたり石畳が復元されて新茶屋の一里塚辺りまで延長されました。美しい石畳です。
さらに峠を行くと、芭蕉の句碑があります。
「送られつ 送りつ果ては 木曽の穐 芭蕉翁」
と刻まれていることから、翁塚と呼ばれます。藤村の「夜明け前」の中でこの最後の「穐(あき)=秋」の文字が「蠅」に読めると言うお話があります。う~ん、確かに「蠅」と読めるかもしれませんね。
そして、この芭蕉の句碑と並ぶようにして、藤村の筆「是より北 木曽路」の石碑があり馬籠宿へと至ります。
ふと、いにしえの時に時空を超えて迷いこむ様な懐かしさを覚える古い町並み、現在も江戸の頃の風情が大切に保存され、山深い木曽路へといざなってくれます。