私は、なぜか子供のころから猫に縁がありました。
子供のころはずっと猫が家にいました。独り立ちした後も、旅先で突然子猫7・8匹がわらわらと現れると歩いている私の両足にバリバリ昇ってきてまるで「猫の鈴生り」だったり、アパートでは内緒で猫2匹「ききょう」「すみれ」と同居したりしていました。
それでも、「すみれ」を母におしつけて嫁いだ後はその罪の意識からか猫たちから遠ざかっていました。
あれから、1年が過ぎたころ、「こはく」がやってまいりました。そして、不思議と猫が集まってきて猫ばっかりの日々が始まったのです。
「若」はすっかり大きくなって、ボスと見分けがつかないほどになっていきました。若は、ボスより少し目元が優しい感じ、昼中は何処へ行くのやら、餌の時間には戻って来て「たぬき」といつもすりすりゴロゴロしていました。
穏やかな春が過ぎてゆこうとしていました。
「たぬき」と茶トラは、仲良くすりすりしやっこしてゴロゴロと喉を鳴らしています。私が見ていることに気がつくと茶トラはあわてて逃げ出しました。
それにしてもボスより二回りも小さいけれど、そっくりの茶トラです。きっとまだ大人になりきっていないんだわ!わたしは、「若」と呼びました。
若は、毎日やってきてたぬきとすりすりゴロゴロ、まるでたぬきに甘えるようです。そのうちにすっかり居ついて寝床もいっしょのなかよしになりました。
時折、ふてぶてしいボスが来ると2匹を蹴散らし餌をがつがつと掠め取っていきます。2匹は仕方がなく、そろって飛びはねるように避難するのです。
年老いた「たぬき」は、すっかり店に居ついていました。とうとう物置小屋の扉はあってなし、開けっ放しになりました。それでも、私が行くと飛び上がって驚いたりしました。
ある日、まん丸顔の大きな茶トラ猫が現れました。意地悪そうにたぬきを威嚇しました。たぬきは一目散に裏の林の中へ逃げていきました。「えっ?あんたにゃ餌はやらないよ!」と私は言いました。
それでも茶トラは時折現れてはたぬきを追い払いました。私がにらみつけるとすごすごと後ずさりするのですが、すぐに戻ってきて餌を掠め取ってがつがつ食べました。私はそのふてぶてしい態度から「ボス」と呼びました。
こてつがいなくなると、こはくは、家の中じゅう探し回りました。「にゃあにゃあ、にゃあにゃあ..」とこてつを呼び続けました。
それから夏が訪れるのを待たずして、ダックスの婆さまも私の膝の上で静かに逝きました。
私がまだ幼い幼い子供だったころ、飼っていた猫がいなくなりました。私が毎日毎日泣き続けると、母が言いました。「そんなに悲しみ続けてはいけないよ。猫ちゃんが、『飼い主を悲しませた。』と閻魔さまに咎められてしまうよ。猫は人よりも先にいなくなるものなの。だから、縁があるうちに十分に可愛がってあげようね...」
こてつは、ほんと見る見るうちに具合が悪くなっていました。さっきまでとは様子が違いぐったりと目をつぶっています。私は家へ飛んで帰ってこはくを連れて戻ってきました。
先生は、こはくから血を採ってこてつに輸血してくれました。こはくは、分かってか分からずかは知らねどもおとなしくされるがままでした。先生は、「これで2・3日はもつと思う、その間に免疫抑制剤が効くといいんだが...」とおっしゃいました。
こてつは、「にゃぁ..」と小さく鳴いて少し元気を取り戻したように見えました。家へ連れて帰って、小さな箱に柔らかなバスタオルを敷いてやるとその中で丸くなって眠りました。
ダックスの婆さまは寒がりで、4月になってもまだストーブを点けていました。婆さまはいつの間にかこはくとこてつよりも小さくなっていました。
猫たちは相変わらず仲良く悪さを繰り返していました。ところが、急にこてつがご飯を食べなくなったのです。どうしたんだろ..?と思いましたが、悪さはいつもどおり、さほど大げさには考えませんでした。
でも、3日も続くとさすがに心配、体重も急に軽くなったような気がして慌てて動物病院に駆け込みました。
「えっ?!!」
血液検査の結果は耳を疑うものでした。
「再生不良性貧血です。手の施しようがありません。」
「こはく」と「こてつ」は、瓜二つ!ぱっと見た目には区別はつかないのだけれど、性格はまるで違うの。
マイペースで何事にも動じない「こはく」、きょろきょろと周りの様子を伺いながらそれでもちゃっかり悪さをして自己PRを欠かさない「こてつ」。時に、「何事!??」と驚くほどに2匹で部屋の中を追いかけっこ、荒らしまわって急ブレーキ!
「尻尾無」を自宅へ連れ込んだ後も、店には何匹も何匹も猫がやってきました。
「ふじやま」と「たき」は、まだ若い兄弟、よぉく似てるけど額の模様が富士山のようなのと真っ直ぐ縦に色が違うの。1っ匹ずつ交互にやってきて、餌は上目遣いに様子を伺いながらガツガツ食べます。2匹が引き上げていくと「たぬき」が姿を現して魚のあらを茹でてほぐしたのと軟らかくしたキャットフードを食べます。「たぬき」は少し気を許すようになりましたが、目は白内障気味でちゃんと見えている様子はなく耳も遠くて不意な気配に飛び上がって驚きます。
尻尾無は、三っ日とあけず店の裏口に姿を現しました。餌をやると上目使いで警戒をしつつがつがつと食べてかわいい声で「にゃぁ」と鳴きました。そして、あっという間に頭をなでさせたのです。
私は、洗濯ネットを持って来ていました。スルッと尻尾無を洗濯ネットに入れて迷わず自宅へ連れ帰りました。
そのころ、我が家には、ダックスの婆様と私に恋する気弱なコーギー、一番強気なミニウサギ、そしてこはくとこてつ、黒猫のふくと大所帯でした。さあ、そこへポンッと放り込まれた尻尾無は、階段下の物置に入り込んでちっとも出てきません。
暑い暑い夏が過ぎていつの間にか秋が忍び寄っていました。秋は、ある朝空の高いところからストンと落ちて、落ちて降り積もり降り積もりやって来るのです。
それでも私は時々思い出したように「茶介..」と名前をつぶやいていました。余り悲しみすぎてはいけないんだと、自分に言い聞かせていました。
ある日、店の裏手に新入りが姿を現しました。まだ、大人になりきっていない黒とこげ茶の汚いやせっぽちでした。
かわいい声で「にゃぁ」と鳴きました。餌をやると上目使いで警戒をしながらもがつがつと食べてさっと逃げていきました。
茶介は私が草むしりをしている間中「にゃ」「にゃ」とお話しながら足元でうずくまっていました。日が暮れてようやく少し涼しくなって、私は帰り支度をしようと立ち上がりました。茶介は私の後をついてきます。
「あっそっか、おなかすいてるんだよね!」
私は、「たぬき」のために用意していたキャットフードの残りをやり、「ごめんね、もう帰らなきゃ、明日は、おうちに連れて行ってあげるから1日だけ我慢して待ってて..」と言いました。
その次の年の梅雨の晴れ間のことだったと思います。
お昼のお客さまがお帰りになった後、私は「草はよくはえるわ!」とぶつぶつと文句を言いながら草をむしっていました。だって、お店周りは、取ってもとってもあっという間の草まるけになってしまうんだもの!
なんだか気配がしてふと顔をあげると、少し離れた木陰に見慣れない猫がじっとこちらを見ていました。私は、カメラを向けても一向に動じる様子のないその子に何だか心惹かれて、「あんた、何処の子?」と声をかけましたが、野良が返事をするわけがありません。
「たぬき」がその顔を見せたのは、1ヶ月の余も通いつめた後でした。その日は朝から姿を見せず、夕方になってようやく倉庫の縁の下からそぉっと顔を覗かせたのです。
「あぁら?!たぬき、おまえ狸じゃあないじゃない!」
そして、そぉと口を開いて「にゃぁ..」と消え入りそうな声で鳴きました。「たぬき」は魚のアラのほぐし身を少し食べるとヨレヨレと塒へと帰っていきました。
それから、だんだんと慣れて少しずつその姿をはっきりと見せるようになりました。すると、口元に大きな傷跡があることに気がつきました。
ある年の、夏の始まりのころだったと思います。
店の裏口の倉庫の下に何かうずくまっているではありませんか!よれよれのこげ茶色っぽいそれは少しお尻あたりがが見えるだけ、「きっと狸だわ!」「そういやぁこないだ直ぐそこの道端を毛が半分抜けた年老いた狸がよろよろと歩いていたぞ。」「あっうんうん、見た見た!」「ありゃぁそうとう餓えとるな..」病気を持ってるかもしれないから係わっちゃダメよと言う私に主人はウンウンとうなずいたはずでした。
「にゃうう」の子供たちは、みんな里親さまのご縁をいただきました。きっとかわいがっていただけることでしょう。ありがとうございます。
「にゃうう」は本当に骨と皮だけのみすぼらしい猫でした。そんな体で子猫5匹に乳を与えていたのですから頭が下がりました。
そして、子供たちが離れて避妊手術を受けさせました。にゃうう自身の体もだんだん栄養がいきわたって、するとうっかりテーブルに出しっぱなしにした鰹節の袋などを見つけても、「泥棒猫」をしなくなりました。
にゃううは、私の膝元に来てよじ登り「ゴロゴロ」と喉を鳴らしています。私は、姿を現さなくなったにゃううの兄弟のことを思い出しました。果たして、人間に寄り添ってもう子を産めなくなった猫と野山で餓えても自らの力で生死をくぐりぬける猫とどちらがいいのだろうか?
それから2時間ほど、押入れからは何匹か赤ちゃん猫の鳴き声がぴーぴーと聞こえ始めました。外から様子を伺っていましたがもう我慢できません。そっと戸を開けて覗き込むと、どうやらようやく最後の1匹が産まれたばかり、まだ、へその緒もつながったまま胎盤も残っていました。にゃううの乳には赤ちゃん猫が4匹もぶら下がっています。
早くしないと、体温が下がってしまうわ!慌ててふためくのは私のほう、ガーゼで体を拭いてやってはさみでへその緒を切りました。
それにしてもあんなに小さなにゃううのお腹に5匹も入っていたとは驚きです。よぉく頑張って産んだわね。私は、とても感動しました。
それからが大変、新米ママにゃううのかいがいしい子育てが始まりました。
「まさか!?」と気がついた時には、にゃううのお腹はどんどん大きくなって、何処まで大きくなるのでしょうか?お腹がトクントクンと動いています。さらにお腹はぽんぽこりん、はちきれんばかりになりました。
いよいよかと押入れに産床を用意して数日が過ぎました。にゃううは私のひざの上で破水しました。それなのに子供たちのお迎え時間です... 私は、にゃううを産床へ放り込むと慌てて出かけ帰宅しました。
「え!?お母さん、にゃううのお腹大きいまま部屋をうろついているよ!」
「ねえねえ、押入れでぴいぴい鳴いているよ?!」と子供たち。
真っ黒な子猫はずっと私の手の中でコロコロと喉を鳴らしていました。腹ペコに違いありません。連れ帰ると、まずは牛乳を希釈して与え様子を見ました。ぺろりと平らげて、一声「みやぁ!」そして、私のエプロンのぽっけの中で眠りました。
山里の夏の終わり、まだ他の木々は緑深く青いのに、いの一番に紅く色づく柿木がありました。道端に自生するその柿木は、結実することはほとんどありませんが葉っぱは見事に一番に色づいて秋の到来を告げるのです。
『こてつ』がやってきたあくる日、テレビは「翌日の未明から最大級の台風が上陸する。」と繰り返していました。
夕方、子供たちのお迎えの帰り道でした。私は、その柿木が紅く色づき始めていることに気づきました。
「まあ、もうあんなに紅くなってるわ!お料理に添えてお客さまに一足早い秋を楽しんでいただきましょう。」と車を止めました。
車外へ降りたった途端、私の足元へ道路の反対車線の向こう側から何か真っ黒けなモシャモシャが一足飛びに転げ寄って来たのです。私は、思わずそれが何者かも確認しないままに両手ですくい上げていました。そして手の内に納まるや否やにコロコロと喉を鳴らし始めました。
その年、秋の足音がゆっくりと近づいて、こはくがやってきてちょうど一月が過ぎようとしてました。
主人が動物病院から帰ってくるなり、「『はく』の兄弟がいた。大きくなっていた...」と言いました。そして、きびすを返すように私の返事も聞かぬままに出かけて行きました。
再度帰ってくると「えっ?!」猫を連れているではありませんか!「1匹も2匹も変わらぬ、兄弟なのに片割れを見捨てるのは忍びない....」とか何とか、ぶつぶつ言いました。私は、再び「ふ~」と大きくため息をつきました。
子供たちは、やっぱり大喜び!!白くて茶色い縞々の尾っぽと耳とほっそりとしなやかな体つき、そして、ちょっぴり愛想無しで引っ込み思案。まあ、姿は瓜二つでも性格こんなにちがうんだぁ!
それでも、とりあえずはダックスの婆さまもコーギー犬も平気な様子です。
娘が「名前は『こてつ』!」と決めました。
ある夏の終わりのことでした。
そのころ、我が家にはダックスの婆さまがいました。婆さまは時折かかりつけの動物病院のお世話になっていました。主人がその病院から帰ってくると、「里親募集のねこがいた。」とぼそりと言いました。私は「ふん..」とだけ気のない返事をしました。
次の日の朝、主人は何も言わずそそくさとどこかへ出かけて行きました。そして帰ってくると猫を連れていたのです。子猫というよりはもうすぐ大人という感じでしょうか。「大きくなってるから誰ももらってはくれない....」とか何とか、ぶつぶつと言い訳をしました。私は、「ふ~」と大きくため息をつきました。
子供たちは学校から帰ってくると、まあ、大喜び!!白くて茶色い縞々の尾っぽと耳とほっそりとしなやかな体つき、そして、「んにゃっ!」と可愛らしく鳴いて人懐っこく甘えるしぐさ。ダックスの婆さまにもスリスリ、コーギー犬にも全く動じる事も無く平気で擦り寄っていくのです。
娘が「名前は『こはく』!」と決めました。
こはくは、ダックスの婆さまとともに主人の枕に頭を乗せて「大の字」で眠るようになったのです。
-こはく、おまえ、猫じゃぁないな!ー
今年の冬は何時になく厳しい寒さでした。
名前は「にゃうぅ」。にゃうぅは、ガツガツと餌をほおばりました。そのお行儀の悪いことといったら!ドライフードをバリバリ食べて、食べカスを辺りいっぱい散らかすのです。「も少し、お行儀よく食べてほしいわ!」という私ににゃうぅは知らん振りを決め込んでいました。そしていくら食べてもそのみすぼらしさは変わりませんでした。
にゃううは、よほど餓えていたのでしょう、餌をたらふく食べた後でもさらに泥棒猫をしました。これには私もおかんむり、片時も油断なりません。「『猫を追うより皿をひけ!』んっ、もお!!」
にゃうぅは、本当にやせっぽちであばら骨がすけて見えてまさに骨皮筋衛門の小さい猫でした。だから、少しお腹がぷっくらしても「虫がいるのかしら?虫下しを飲ませなくちゃ!」と思っただけでした。そして、いっぱいいっぱい虫を出しました。でも、やせっぽちは変わらぬままに、再びお腹がぷっくらしていきました。
あれじゃぁ厳しい冬を越すことはできないわ!
私の心配をよそに、次の日は姿を現しませんでした。2日後、一段と寒く冷え込んだ朝、勝手口を出ると再び「なうぅ、なうぅ..」と弱々しい鳴き声が聞こえました。
「さあさあ、出ておいで。」と声をかけると、猫耳は4つ!まあ、サバトラ、瓜二つ!兄弟でしょうか?「さあさ。」
霜が降りて、寒さも厳しくなったある朝のことでした。勝手口から裏へ出ると、森からかぼそい鳴き声が聞こえました。
「なうぅなうぅ..」
「えっ?!」と目を細めてながめると、枯れ草の中に猫の耳がちらりと見えます。「野良だ!まだ、小さい。おなかすいてるんだわ..」
私を見つめて「ご飯ほしいよぉ」とばかりに枯れ草の中で後ろ足の上に座って前足を胸の前にもたげてめいっぱい背伸びをしました。
私はしばらく戸惑っていましたが「-しっかたないなぁ...」溜め息をついと「おいで」と呼びかけました。
野良は、警戒をして小さな声で「なうぅ..」と鳴きながらおっかなびっくり姿を現しました。まだ大人には成りきっていない若い猫、まあそのみすぼらしいこと!!腹は肋が浮いて、かろうじて毛が生えている皮が骨に張りついているかという姿。上目遣いで警戒しながら、キャットフードをバリバリ食べました。そして、一目散に森へと逃げ帰っていきました。
母猫の名前は『にゃうう』、「にゃうう、にゃうう。」と鳴くのです。
野良猫にゃううが、ママになって6週間が過ぎました。子猫たちは5匹、ママ似のサバトラオスはとおっても器量良し、熊のように黒いオスの尻尾はポキッポキッポキッと折れ曲がってやや短め、茶トラ2匹はするっと真っ直ぐで長い尻尾のオス、茶混じりの黒いメスはまだ少し小さめでご愛嬌の顔立ち。皆そろって元気に育っています。野良の子ですが、人慣れしていて性格もよくホントかわいい子たちです。
ながらく私の拙いひとりごとにお付き合いいただきまして、真にありがとうございました。
私は幼い頃からあたりまえに猫と暮らしていました。名古屋で独り住まいを始めてもききょうとすみれに出会い、その寂しさをなぐさめてもらいました。そして、今は、ミニチュアダックスの婆さまと私に恋するコーギー、そして雄うさぎ1匹が家族とともにいます。
物言わぬ大切な家族の一員たち、ありがとう!
すべてがしあわせでありますように!!
つつしんで深謝もうしあげます
H26.05.01
ふるかわ きみこ
さぁて、トラは家へ入るなり、あまぁ~い声で
「みやぁお、みやぁぉ!」
のど元をなでてやると早くもコロコロのどを鳴らして、コロン、仰向けに腹を露わにしてあられもない姿。
「あら、お前はおんたなの!」
とは言ってもね。ここは犬猫禁止。
「あんたたち、二度と外へは出れないよ。それが家に居る条件だからね。ばれたら、私まで家無しになっちゃうもん!」
猫が外を出歩けないなんて、なんだか不憫で涙が出ちゃうけど致し方ありません。
私が、外出するときは、ききょうはちゃぁんとお見送り、玄関までついて来て
「みやぁぉ! みやぁお!」
「ごめん、仕事だからいい子で待っててね。」
帰宅するとお出迎え。足元でそばえて
「みやぁぉ! みやぁお!」 ゴロゴロ...
- すみれは、どこ?? -
だんだん寒くなってきました。
帰宅すると、ききょうは膝から下りません。
「お前、ずいぶん太ったんじゃぁなぁい?重くなったね!」
気持ち良さそに膝でごろごろ言っています。確かに私も暖かいけど...
おこたが嫌いな私の部屋にはちっちゃな石油ストーブが1つ、やかんのお湯がシュンシュン沸いています。部屋を手元の明かりだけに落として編み物でもしてると、まったり幸せな気分。
高台の3階の私の部屋は、古いながらも日当たりも風通しも良い部屋でした。その日は天気も良く窓をいっぱいに開けると、春風が優しく通り抜けていきました。
ききょうは、いつものように
「みぃやぁ!みぃやぁ!」
と猫なで声で長い尻尾をピン!と起て私の後を附いてまわって甘えています。すみれもいつものようにマイペースで毛づくろいをして、ちらりちらりとこちらの様子を窺っていました。
やっぱり、最寄の獣医さん探さなくちゃ!
1度落ちて学習したようで、2度目落ちることはありませんでしたが、
ききようとすみれは兄弟とは言え雄と雌、年頃になれば...
獣医さんはすぐに見つかりました。バイクなら3、4分のところです。とりあえず話を伺いに行くと、
「部屋の中で飼っているなら、雄を手術しましょう。スプレ*することも脱走することも少なくなると思いますよ。」
-いやぁ、脱走ではなくて、落ちたんだけど...
さあて、獣医さんからの帰り道、行きも決して「よいよい」じゃあなかったけれど帰りはずうっと上り坂!センターラインはあるけど、歩道は無い!結構車どおりのある道です。車が来るたび立ち止まりやり過ごします。
ききょうとすみれがいるのが当たり前となり、ご近所さんも気が付いておみえか否か、お叱りを受けることも無く季節が移ろっていきました。いつの間にか梅雨も明け、みんみん蝉の賑やかさがやってまいりました。
このところ、忙しい日が続いていました。忙しくなると電車での通勤が億劫になり、バイクで通ったりしていました。その日は仕事が終わらず、いつもにも増して帰宅が遅くなり夜も更けていました。裏の大通りから右折して路地に入り坂を上ってくると革ジャンの胸元に入る風が急に冷たくなって冬が近いことを告げていました。
- さあ、猫たちがおなかをすかして待ってるわ。-
すみれは背中をなでてやっているうちは、気持ちよさそうにしています。
でも、しばらく手を休めるとまた、
「びやぁお!びやぁお!」
私は、朝までうつらうつら、すみれの背中をなで続けました。
猫たちとの日々は安穏に移ろっていきました。ききょうはいつも甘えん坊で、擦り寄ってきてはゴロゴロとのどを鳴らし私の顔を覗き込んで
「みぃあ!みぃやぁ!」
- ききょう、おまえが人間だったら彼氏になってくれるだろうなぁ...-
すみれはマイペース、澄まして猫すわりをしたまま私をちらりと見て尾っぽをゆぅらりゆらり、そして念入りに顔を洗います。
近くの公園の濃桃色の八重桜が風にはらはらと散っています。なぜ、桜はこんなにも心をゆさぶるのでしょう!?
休暇とはいえ室内は這って歩くような始末、退屈で仕方ありません。日がな一日家にいると、気になるのは猫たちの様子です。ききょうは、部屋の中を歩き廻っていたかと思うと爪を研いでいます。お気に入りのチェストがボロボロ、もう今更怒っても仕方ありません。
- あれ?すみれ、さっきトイレで砂を掻いていたのに、またぁ??-
つい先日、ご近所さんへちょっとご挨拶に伺いました。すると、2匹の虎猫が日向ぼっこ。早速、ちょっかいを出しました。
最初は、警戒ムード。
「何だ、こいつ!!」とばかりに、腰が引けていつでも逃げ出せるよう構えました。
さて、幾度季節が廻ったことでしょう。その年の夏も猫たちは蝉狩りを楽しんで私はしぶしぶ後始末をし、やっぱり大好物のスイカを夕食代わりに食べて過ごしました...
そして、ようやく名古屋の暑い暑い夏がひと段落し秋風が心地よく感じ始めた頃、母から電話が入りました。
「きみこ、こちらに新しいリゾートホテルができるみたい。オープニングスタッフを募集しているよ。」
「猫はダメ!! ダメよ、家の中をめちゃくちゃにしてしまうでしょ。」
- ええ~、でも私はこの子たちとは離れられないよぉ。どうしよう! -
その一方で、取り合えず会社訪問に伺いました。結果はその場で即、採用いただきました。「グランドオープンは来春3月の頃、準備が出来次第出社してください。」とのご回答でした。
駆け足で秋が過ぎ去り木枯らしが冬の到来を告げる頃、さあ、いよいよ新しい出発です!!
期待と不安でいっぱいの私、でも、それを久々に楽しんでるもう1人のきみこ。何がなんだか分からずただただ不安の風船が割れんばかりに膨らみ、気が狂そうな猫たち。
ようやくたどり着いた実家では、取りあえず、納戸で猫たちをゲージから出し、水を飲ませ、いつものトイレに砂を用意してしばらく遊んでいると、すこぉし慣れて落ち着いて着ました。やれやれです。
ききょうはなでてくれる母にも愛想を振りまき「みやぁ、みやぁ」と鳴きながら身体をくねらせてゴロゴロのどを鳴らしています。すみれも、頭をなでさせた後顔を洗い終わると、母が用意してくれたお座布団に丸くなってお昼寝を始めました。
「お疲れ様、居間でお茶でも飲んで少し休んだら..」
母がお茶を入れてくれました。
- うん、ありがと。今、行く! -
木曽の初冬の夕暮れはあっという間です。お茶をいただいた後、積んできた身の回りの品を車から降ろし部屋へ放り込みました。ふと、納戸の前を通りかかると、引き戸が少し開いていました。
ー えっ!! ー
私は、慌てふためいて2匹を探し回りました。日は暮れかかっています。母も一緒に名前を呼んでいます。
ききょうもすみれも、足の裏の肉球はきれいなピンク色、おまけにあんまり爪を研ぐので時々爪を切っていました。毛並みも母の指摘どおり冬毛にしては貧弱で薄め、腹の方は産毛が生えているだけで地肌が見えるほどでした。今まで名古屋、それも部屋の中だけで暮らしていたのですから、それで十分だったのでしょう。でも、まだ初冬とはいえ木曽は名古屋の真冬以上の冷え込みとなります。
- 早く、見つけなくては....
その一心でした。
- ききょう! ききょうもいるの?? -
すみれを母に預け、私はききょうを探しました。でも、ききょうの気配はありません。
実はすみれとききょうは色違いの首輪を付けていました。ききょうは朱色、すみれはピンク、ともにかわいらしい鈴が付いていて歩くたび、顔を洗うたびチリチリッと鈴の音がしていました。でも、ききょうはなぜかすぐに鈴を取ってしまうので、ききょうには鈴が付いていなかったのです。
ー ききょう!!!ー
「きみこ!いい加減に家の中に入りなさい。そのうちに帰ってくるかもしれないし、お隣さんにもご迷惑よ。それにあなたが風邪を引いてしまうわ。明日から、即、出社でしょ。大丈夫、今夜はさほど冷え込まないそうよ...」
すみれはだんだんと実家での日々に慣れていきました。外出は相変わらずストラップ付でしたが、門から外の道へまるで犬のように母に連れられて日に何度も暖かい時間を見計らって散歩に出るようになりました。
木曽の短い夏が通り過ぎ、里山はすっかり秋の気配となりました。
私は体調を崩し、1週間ほど休暇を取って実家へ帰ってきました。
すみれはすっかり母にも実家の暮らしにも慣れ、ストラップなしでご近所を自由に出歩くようになっていました。私が呼んでも、素知らぬ顔で「あんた、だれ?何しに来たの?」といわんばかりにちろりと見ただけでした。
社宅と実家は、車なら10分そこそこの距離にもかかわらず、私は水臭いものでした。仕事は確かに忙しく、休みは外出する気力もないまま部屋でぐったりと過ごしていたのは確かでしたが...
そして、母から電話が入りました。「元気にしてる?」と私を気づかっての電話でした。
- うん、大丈夫だよ。今日はちょうど久々の休み! -
うんうん..と話をした後、「あのね、すみれがモグラをつかまえてくるのよ。」と、
私は嫁に行くこととなりましたが、すみれは相変わらず『あんたの事なんか、忘れた!!』と言わんばかりに何度行っても知らんぷり。
- 相変わらず、可愛げないわね! -
「そりゃそうよ!ほったらかしだもんねぇ!」と母にまで言われ、私は
- すみません.. -
とばかり、実家にすみれは残していくことに..そして、数年が過ぎていきました。
その後、私の姪っ子たちが次々生まれました。すみれは相変わらず子供たちが訪れると、ぷいっと家を出て夕方まで帰りませんでした。まあ、どこかの陽だまりやら木陰の涼しいところやらでゆっくり昼寝でもしていたのでしょう。
ところが、だんだんとすみれも年をとっていきました。近所の野良に家の中の餌を取られてみたり、門を歩いてもフゥ~ッと威嚇されたりと、家の中でぐうたらしていることが多くなりました。
ききょうとすみれと私が暮らしたのは、ただほんの数年間でした。時間の流れは過ぎてみるとなぜか不思議なものです。つい先日の事だったようで、でも、ずうっと前の事のようでもあり、そして、実にもう既にふたむかしも前のことなのです。
すみれにとっては、母との暮らしのほうがはるかに長い月日でした。囚われの身だった私との暮らしとは違い、土を踏み野を自由に駆けて文字通り「猫」だったのです。
私は、ずうっとすみれをなでていました。すみれは、ずうっと喉を鳴らしていました。
私は席を立ちたくはありませんでした。なんとなく、もしかしたらと感じるものがありましたから...
私は、ずうっとすみれをなでていました。すみれは、ずうっと喉を鳴らしていました。